実家へのUターン〜母親との会話〜
こんばんは。
治美です。
愛されてなかったわけではないと頭ではわかりながらもどこか受け入れられないまま
面と向かって両親と話をせざるを得ない状況になりました。
仕事を休職していたため、生活にも困り始めた私は親に助けを求めないとならない状態に。
過去、私が起こした両親の目を引く行動の1つにお金が絡むこともあり、大学中退した負い目もあり、お金のことで助けてと言えず…。
さらにこの時期、イタリアでのリトリートに参加したいということでのお金の部分とローマに行きたいという願望があり(リトリートはベネチアの方)行けるかな?行きたいから行こうという普段はリスクヘッジな私のたまに気持ちが大きくなる勢いでローマに行こうとしてました。
そりゃもう、親からは大反対と私の猛反発になり冷戦状態。
お金助けてとも言えない。
イタリアには行きたい。
ローマ行きたいもん。
ローマは今じゃなきゃダメ?
そんな1人でローマなんて危険な、行かせられないと親は反対。
今までの私は、そんな分かってくれないならもういい!行かない!!
と、全てを無しにして
ほら、分かってくれないじゃん。。
と悲劇のヒロインになっていたと思います。
今までと違ったのは、親の言葉を受け取ったら
心配なんだよ。
ただそこから生まれてる言葉で、イタリア行くことは否定してなかった。
イタリアは行かせて欲しいと。
帰りはベネチアから帰ってくる。
ただ、金銭面で助けて欲しいと伝えて、イタリアに行くこともできました。
その後に母親とこの会話をしたことが私には大きかった。
私を手のかかる子、ダメな子だと扱うのはやめて欲しい。
いや、まぁ、そりゃいろんな問題起こしてきました。
前回の記事にも書いたように、不登校から中退から、それだって心療内科にかかってるからお金もかかる。
お金をかけてもらうことが目をかけてもらう(愛情をもらう)ことのように私も物事起こしてたけど。
私の人生を豊かにしたい中で、親からのジャッジってまぁ結構なジャブで。
私の人生だ!なんて思いながらも後ろ髪引かれるようなそんな感覚があって。
そしたらね、
誰もお前をダメな子だなんて思ってないよ?
岡山で1人で生活してて、仕事して、まぁお金はちょうだいって言う時もあるけど、それでも1人である程度工面してやってて。
すごいじゃん。
お前は音楽のイベントやったり、色んな人と知り合ったり、色んな所行ったりして色んな経験してるよな。
1人で元気に向こうでやってるっていうのはすごいことだと思うよ。
ってさらっと言われて拍子抜け。
右手の障害で小学校の頃から
リコーダーも図工もみんなと同じにできない。
だから勉強は親の期待に応えられるようにやってきたし、できることは負けたくなかった。
中3から不登校になり、みんなと同じペースで進めないことがどんどん私自身を否定していって。
ダメな子だと扱ってたのは私だったのかーって。
トンカチで頭殴られたような感じでした。
そして、ずっと抱えてた傷や悲しさや怒りをカミングアウト。
お母さん、昔、私は好きな人と結婚できないかもしれないよ?って言ったの覚えてる?
そこから幸せになれないって思うようになって不幸体質になったと思うんだよね。
『え?そんなこと言った?
覚えてない。』
またトンカチで頭殴られました。笑
『でも、あの時はどうなっちゃうんだろう、幸せになれるかな?って不安と心配でいっぱいだった。』
心配だったんだよね。うん。
お母さん、でも私はお母さんのその一言で今まで幸せにならない選択をしてきちゃったよ。
ずっと、どうせ分かってもらえない。と喉のところを塞き止めてたため、無意識で言葉を飲み込む癖がついていた私が、意識して言葉にしたことで、
私が深刻に考えていて、本人に確認したらそんな深刻なことではなくて。
でも、当時そういう会話ができる環境があったら20年もこんなすれ違いを起こさずに済んだのかもしれないと思いつつも。
そのすれ違いがあったから親と面と向かって話せるようになったのかな?と。
中学校に上がる前は親っていう存在。特に母親って絶対的な存在で。
真白の恋のお父さんのセリフではないけれど、私を守ろうと思って必死だったんだろうなという当時の母親の感情と共に親の何気ない一言が子どもの人生にこんなにも大きな影響を与えるんだ!と身をもって体験しました。